2010年9月7日火曜日

「瀬戸内国際芸術祭」を視察(高松市と女木島)―最終回


9月19日(木)の早朝、折角、高松市に来たのですからと
栗林公園の見学に出かけました。

栗林公園の周回道路は自転車が通る部分と歩行者が通る部分がセパレーツ。
通勤する自転車が物凄いスピードで走り抜けても、歩行者は安心です。

安心と安全に心がけている街なんですね。


 


松の木を生垣にしているなんて、すごい剪定技術です。
広い公園の中をぐるりと回遊してみると、

とにかく、松、松、松、と松づくし。

これだけ松にこだわった庭園は栗林公園だけですね。感動しました。

高松市が盆栽の街を標榜しているそうですが、納得です。


さて、いよいよ今回の視察の仕上げ。

午前9時30分から午前11時30分までの2時間、高松市役所において、
最初に議会事務局総務調査課 調査係長 谷本 新吾 氏から
高松市の現況について、説明を受けました。

高松市は人口が417、726人(H22.4.1現在)。
平成17年と平成18年の合併によって、約33万人から約9万人増。
産業構成では、第3次産業が75.8%をしめています。
これは四国の玄関口であり、物資の中継地であることが要因で
都市形態としては、商業観光都市だそうです。
一般会計は平成22年度当初予算額が1428億1千万円。
自主財源として、市税 約616億円。
依存財源として、地方交付税 約195億円、国庫と県支出金 約308億円。

議員数は合併によって51人。(議員定数は40人。)
自民党19人、公明党6人、日本共産党4人、民主党2人、社民党1人、無所属19人
政務調査費は月に10万円。旅費の費用弁償費も出ます。

続いて、主目的である「瀬戸内国際芸術祭」担当者からヒヤリングを行ないました。

説明したのは高松市 市民政策部 国際文化・スポーツ局
国際文化振興課 課長 山下 光 氏です。

質問のポイントと回答

①「瀬戸内国際芸術祭を受け入れた行政的な背景と現実

基本的に香川県の主導で平成20年4月に同芸術祭実行員会が設立された。

里海の島々は少子高齢化の波をもろに受けて、限界集落化している現状にあるので、
これに光を当てて再生の機会とする意味において、香川県と高松市の意見が一致した。

②大イベントに対する住民の意見のヒヤリング。

現代アートというものについて、
直島の住民は、ベネッセコーポレーションの開発、整備や観光客の反応によって
すでに生活の中に溶け込み、理解されているとこだが、
その他の島は、普段鍵もかけないで平和だったところへ、
他所から見知らぬ人が大勢押し掛けてくることに対する不安と
現代アートという全く不気味なものに対する警戒感で、
当初はこのイベントの意義を理解してもら得なかったそうで、
何度も地元説明会を繰り返して、ようやく折り合いをつける事が出来たそうだ。

上出議員は「越後妻有トリエンナーレ」を見ているので、
今回、各島の展示場所やインフォメーションにたくさんの警備員が配置されていることに
驚いていた。このための予算は「越後妻有」よりも余計な支出であろう。

とにかく、広域にわたるイベントは、各地区ごとに温度差が生まれる所を
どう対処するのかも成功の可否に繋がる重要なポイントである。

③こんごの地域振興策との整合性について

今回のイベントをきっかけとして、男木交流館をはじめとする過疎地のインフラ整備、
女木島などの航路利用促進事業の展開を市単独で推進することが出来た。

今回の展示作品の一部が恒久的に、過疎の島々に残されるので、
作品の管理や観光客への対応などで島民との協働した取り組みが得られ、
一過性のイベントとしてではなく長期的な視野に立った島のにぎわいづくり、
活性化への道が開かれたと思われ、
できうれば、数年おきに2回、3回と同芸術祭が継続することを願っている。

④予算について

総額で、6億5千2百万円を計上。
うち、香川県1億5千1百万円。高松市7千万円。その他の町3千7百万円
福武教育文化振興財団1億円。
ほかはふるさと納税や協賛金、チケット・グッズの販売売上等を財源としている。


以上のような回答を得て、高松市役所を退出し、
夕方までの時間を高松港周辺と女木島の視察に割くことにしました。

 

この建物は、高松シンボルタワー。
ここの1階で、芸術祭に関連するグッズや
芸術祭に合わせて新しくデザインされた名産品、地元の海の幸山の幸など
芸術祭に訪れた人たちへのインフォメーションを一手にまとめてありました。

また、この建物内にあるホールが、このイベントの開催期間に企画された
シンポジウム、ワークショップ、コンサート、関連各市町村のPRイベントの会場になっていて、
イベント参加者の集客を一極化することで、効率的な運営が図られると思いました。

今回、宿泊地を高松市としたが、この芸術祭にやってくる観光客は
作品の鑑賞スケジュールの都合からいえば、
高松市内に宿泊する方が効率的なので、
高松市内のホテルや宿泊施設を利用すると思われ、
その点からすれば、高松市はイベントの経済効果を最大に恩恵を被っていると考えます。

高松市の担当者に問うたところ、
約50億円以上の経済効果が生まれると算出されているそうです。


高松港は四国最大の玄関口なので、いろいろなサインもおしゃれです。


施設をつなげる回廊を空中に設けて、車の出入りや風雨対策に配慮されています。


高松港に展示された芸術作品。ランドマーク的な役割にもなっています。


旧高松港管理事務所は、椿 昇さんが建物外観と内部をプロデュースした作品になっています。


CO2の濃度によって右側の壁に映し出される映像が変化します。


次に13時10分の便で女木島へ、本当にゆっくり進むフェリーで向かいました。


女木島は別名を桃太郎の鬼退治伝説の「鬼ヶ島」とされていますので、
港の入口の堤防には鬼の石像が見張りをしています。



この島も住居がかたまっている集落の場所が限られているので、
作品を見るために行動する範囲は思ったほど広くはありませんでした。
この島での許容時間は約1時間しかありませんでしたが、
急ぎ足で回ったので、それで十分でした。

この建物は「鬼が島おにの館」。今回のインフォメーションセンターでもあります。

港の岸辺に展示された「20世紀回想」という作品。


女木島では一番の見どころが、この「FUKUTAKE HOUSE」
休校中の女木小学校と旧保育所を会場に
内部にいろいろなタイプの現代アート作品が各教室を使って展示されていました。
映像作品が多くありました。

この施設で作品を見ているうちに午後3時が近づき、
慌てて駆け足でフェリー乗り場へ。

なのに、フェリーはのんびりと男木島から入港してきます。
女木島を出てからものんびり進みます。

こっちはJR高松駅から午後4時過ぎのライナーに乗らなければいけないので
やきもきしました。

まあ、無事に列車の時間に間に合い、午後8時には芦原温泉駅に到着しましたけれども、

今回の視察を通じて、島から島への移動にフェリーとか高速艇を使ってみると、
穏やかな瀬戸内の海はまさに、生活の場であり、道路なんだと思いました。
「里海」という表現を地元ん人は使っていましたが、その通りだと思いました。

視察のまとめを記します。

このイベントは「現代アート」というソフトツールを活用したインフラ整備でもあると思います。

そして、「海」がいかに住民の生活の身近になものかということを再確認させてくれます。

それは過疎化に対する政治的な対策イベントであるということが分かりました。

以上で「瀬戸内国際芸術祭」も視察レポートを終わります。

2010年9月6日月曜日

「瀬戸内国際芸術祭」を視察(男木島)

直島を高速艇で午後3時15分に発って、約20分。




男木島は小さな島で、
港のある一帯の斜面に人家がへばりつくように建っています。

この写真に写っている部分だけが住居ゾーンです。


男木島港に到着したら、直ぐに入りたくなる建物があります。
インフォメーションセンターの役割を果たす、
ジャウメ・プレンサの「男木島の魂」と題した作品。
屋根には日本語、アラビア語、ヘブライ語、中国語などをデザインして組み合わせ
光がたっぷり入る半透明な空間を作っています。
今回のために建てられ、これから以後も「交流館」として使用されるそうです。
いわば、イベントによってインフラ整備されたということですね。


男木島で最初に見た作品は、海辺にある旧公民館の室内を使った巨大な心象風景画。
鏡を用いて、空間を広く見せています。

現代アートに鏡は必須アイテムですね。虚と実を視覚的に行ったり来たり出来ますから。



次の作品は全て、斜面で坂になっている細い路地を通ってたどり着く民家にあります。



冠木門のある家なので、、この島では比較的格の高い家でしょうか。
この家には「想い出玉が集まる家」という作品が展示されています。

島人たちが想い出があって捨てられない新聞雑誌、手紙などの類を持ち寄って
これを玉に丸めてデコレイトし、インスタレーションされています。


 
路地のいたるところに壁財を彩ったペイントがあり、
散策にアクセントをつけています。


斜面を利用して家を建てているので、その土台には石垣が組まれていまして、
これが、この島の風土的景観の基礎を形成しています。
剥がれている壁板を見たら、それは船板を使ったものでした。


これは、屋内に島の竹で作ったサウンドオブジェ。



この展示は、性と死をテーマとしているようで、
今回見た中ではもっともシュールでした。好みが分かれそうです。



作品を展示している家には、入り口にこんなサインが。

ここは、残念なことに閉館していて見れませんでしたが、
「漆の家プロジェクト」という作品です。



この島の人口は何百人といった程度でしょうか。
歩き回って見かけた島民の方々は皆さん高齢でいらっしゃいました。

当然、廃屋や、取り壊された更地となったところもあります。

これは、その更地に置かれたサウンドオブジェ。


坂道で路地が細いので、物を運ぶときに「乳母車」(オンバ)を使うそうで、
それに目をつけて、アート作品に仕立てる工房が設けられていました。


アート作品散策の途中で見かけた井戸。
急な斜面での生活に、水はどうするんだろうとおもっていたところで、
この井戸に出くわしました。きっと、深いんでしょうね。



高松港へ向かって出発するする時間が午後5時ちょうど。
その次の便だと午後8時が最終です。
なので、男木島では作品鑑賞の時間が1時間強しかなく、
一気呵成に歩き回りました。
そのおかげで帰りのフェリーの中ではぐったりでした。

因みに、男木島を出航したフェリーは約20分ほどで女木島港へ立ち寄り、
そこから高松港まで約20分ほどかかりました。

2010年9月5日日曜日

「瀬戸内国際芸術祭」を視察(直島編)その2

直島は明治時代から、三菱マテリアルの工場が操業していました。
そこの従業員であった村木賢吉さんが歌ってヒットしたのが「おやじの海」だそうですよ。


つつじ荘の入り口にあった記念碑です。

つつじ荘からはベネッセのチャーターバスに乗り換えて、
ベネッセの各施設へ移動します。だからこの間は無料。


地中美術館の待合です。奥のほうにチケット売り場があります。

この地中美術館は、鑑賞するのに人数制限があることから
事前に予約を入れておきました。
12時30分が私達の入場予定時間。
この待合にはバスの都合で11時30分についてしまい、約1時間ほど待つことに。

その間に、ぶらりとやってきた予約なしの人は待ち時間が4時間後という状況でした。

この視察には、まったく博士で臨んだ3人の議員でしたが、
さすがに地中美術館のことだけは旅行会社の人が気を使ってくれていました。



この芸術祭は、現代アートというものを展示してみてもらうということもさることながら、
地元の産業と現代アートとのコラボレーションにも眼を向けてます。
その一つが、この「オリーブサイダー」。

このほかにも「讃岐うどん」「小豆島の醤油」「和三盆のクッキー」などなど、
商品開発の企画段階から先進のデザイナーと関わっているようです。



地中博物館は撮影が禁止なので、その内容をお伝えすることが出来ません。
来館者の方は皆さんここで記念撮影をしてました。

地中美術館は、建築家安藤忠雄さんの代表作ともいえる建築物。
建物の外観は見えず、すっぽり地中に埋まった設計で、
周辺の自然を損わないという前提の究極の建築です。

建築デザインを見所としていますが、常設の美術品は3人の美術家のものだけ。

なかでも、クロード・モネが晩年に描いた5点の「睡蓮」はかなりでかいものでした。

光をテーマとするジェームズ・タレルの空間インスタレーションもインパクトがあります。

ベネッセの施設はこの他に、
「ベネッセハウスミュージアム」と「李ウーファン美術館」がありますが、
時間が無いのではしょりました。



この当たりはベネッセのプライベート空間。
草間弥生さんの「黄かぼちゃ」の展示を遠望しました。

帰りは、ベネッセのチャーターバスでつつじ荘へ戻り、町営バスで宮浦へ戻りました。

直島の玄関口である宮浦港周辺の見どころは、なんといっても
「I ラブ(本来はハートマーク)湯」




島民の生活と美術が溶け込むことが狙いの実際にお風呂に入れる美術施設。
時間の都合上、概観のみ。

もう一つは私設博物館「OO7赤い刺青の男記念館」。


 



現代アートのことを忘れさせてくれる「遊び空間」になっています。

主たるテーマばかりでは息が詰まってしまうので、
こういう異空間も必要だと思います。

予定では、直島から直sつ高松市へ向かうことにしていましたが、
時間がうまく使えたので、男木島(おぎしま)へ向かうことにしました。



2010年9月4日土曜日

「瀬戸内国際芸術祭」を視察(直島編)その1

翌8月18日(水)は先ず、直島へ向かいました。

小豆島から直島へは高速艇で渡りました。
この写真の中心に係留しています。左に見えるのが前日に使ったフェリー。
その速度の違いは歴然です。


高速艇で小豆島直島間は約40分でした。

直島に近づいて、小山の頂上に白い建物が見えました。
これが世界的に有名な地中美術館です。

瀬戸内の海のなんとも穏やかなこと。波も無く、湖のようです。

直島のレセプションはさすがに違います。

ベネッセコーポレーションが安藤忠雄さんの建築を軸として
島全体を現代アートでコーディネイトし、
世界各地から先鋭のアーティストが訪れているだけあって、
接客に卒も無く、何でも気軽に質問できる雰囲気があります。

このインフォメーションパネルはきっと小豆島にもあったんでしょうが、
直島では見てみようという気にさせてくれますまんね。
小豆島と直島の違いって?と考えさせられました。


案内は4ヶ国語で表示。

ところで、この芸術祭に関わっている7つの島の位置関係が分からないと
ストレスもたまりましょう。

次のマップをご覧ください。

右上にあるのが小豆島。赤い吹き出しで宮浦港と記してる島が直島。

小豆島と直島の中間にあるのが豊島(てしま)。

豊島の斜め左下の小さい島が男木島。その下の細長いのが女木島。
その下の四国側が高松市になります。

大島と犬島は、説明が長くなるのと今回行かなかったのでパスします。

直島の見どころは3箇所に分かれています。

高速艇が到着した宮浦港近辺と
バスで約15分ほど島の真ん中を横断して東側にある本村(ほんむら)地区と
島の南側に点在するベネッセの施設です。

まず、私達は、真っ直ぐに本村地区へ向かいました。
町営バスの時間が平日プログラムで、本数が少ないからです。
バス代はどこまででも100円でした。

本村地区では、越後妻有でも実験されていた「家プロジェクト」が展示のメインです。

この建物もその一つ。外壁に杉板を焼いたものをどの家も使っていました。
塗装だと塩害に弱いからでしょうか。


内部は撮影禁止なので、外側だけ。

内部の和室には畳みの換わりに、浅いプールが設けられ、
格子の陰影をアクセントとして使ったインスタレーション作品でした。


近くに、空き缶をデフォルメして製作したオリジナルグッズを売るブティックがありました。
このお店は、この芸術祭に直接関わっているわけではありませんが、
直島がアートの島として知られるようになってから、
自宅を改造して誰でも受け入れるブティックを開業したそうです。

この地区をうろうろと歩き回ってみると、
なるほど、本村地区には、昔ながらの街並みと小路がまだ残されていて、
ベネッセの斬新さとの好対照なところが、
訪れる観光客にほっとした空間と気分を与えてくれます。

本村の集落を抜けたところにある階段を上っていくと
護王神社に出ました。

ここでは、僕の大好きな杉本博司さんが
護王神社自体をアート作品にしていました。

杉本さんの古代への憧憬と畏敬が垣間見れる作品です。

この案内板は、本村地区がどの辺になるのかを示しています。

家プロジェクトは5件ほどありましたが、
その中で、昭和レトロを狙ったのが「歯医者さんの家」。
この中にはなぜか、自由の女神がすくっと立っていました。
この写真でも頭の冠の部分が見えるでしょ。


でも、暑かったなあ。

本村地区からベネッセ施設の地中美術館へ向かいますが、
町営バスは途中のつつじが荘というリゾート施設までしか行っていません。

この日もお盆が過ぎたとはいえ、かなりの観光客が訪れていました。
そのほとんど、んんん、7割が20代の女性たちと言っても過言では無いくらいです。

なので、バスの込み具合が尋常ではありませんでした。